2026年 03月 03日
「少年マンガにおける美少女の身体(一部抜書) ー 表智之」淡交社刊 乳房の文化論 から
はじめに
「少年マンガ」と「美少女」の取り合わせに違和感を感ずる読者は、おそらくいないだろうと思う。実際、 書店などの店頭に並ぶ「少年マンガ誌」を手にとってみれば、勇ましいヒーローたちに勝るとも劣らぬ存在感で、美少女ヒロインたちが活躍している。また、マンガのキャラクターのみならず、美少女アイドルタレントの表紙や巻頭グラビアも珍しくない。
そして、少年マンガ誌の誌面を飾るそれらの美少女たちはおおむね、性的に対象化されうる身体を持っている。設定年齢上は幼い少女でありながら、豊かな乳房をはじめ、性的な成熟を示す身体的特徴が強調されて描かれる傾向にあり、そこにはヒロインたちを性の対象としてまなざす読者の、同時に作者ら作り手たちの視線のありようが感じ取れる。
現在、ごく当たり前のように起きている右のような事態は、最初からそうだったのではなく、戦後の少年マンガおよび少年マンガ誌の歴史の中で構築されてきたものである。また同時に、少年マンガを読みなれない人の目から見れば、右の事態、特にヒロインたちの身体の性的なアンバランスさは、非常に奇妙でグロテスクとさえ映る。つまり本稿が論題とする『少年マンガに登場する豊かな乳房をもった美少女』とは、時間的にも空間的にも決して普遍的な存在ではなく、ある種のコミュニティに向けて歴史的に編制されてきたものである。そして、やや過大に聞こえるかも知れないが、その「コミュニティ」 とは戦後の日本社会に、「歴史」とは日本の戦後史に、ほぼ重なると考えなければならない。
マンガ的な表現形態は決して日本の専売特許ではなく、アメリカ合衆国やフランスなど、世界に「マンガ大国」と呼ばれうる国や地域はいくつもある。しかし、日本ほど深く広くマンガが浸透した社会は、 他にどこにもない。文字通り老若男女すべての人に向けてマンガが描かれ、少年/少女/男性/女性向けはもちろん、20代男性/30代男性/40代男性向けや、男性サラリーマン/OL/主婦向けと、細かく区分されセグメントされたマンガ雑誌が日夜大量に発行され、書店やキオスクやコンビニエンス・ストアの店頭に並び、消えていく。マンガが空気のように世の中にあふれ、湯水のように消費されていくのだ。こんな国は世界のどこにもない。
そして、マンガ雑誌というメディア形態も日本で独自の発展を遂げたものである。編集者がマンガの制作に深く関与し、作者の創作意欲と読者のニーズとをすり合わせながら、雑誌ごとの個性や方針も加味しつつ、売れる作品づくりを作者と共に目指していく。それゆえ日本のマンガはおしなべて、読者の赤裸々な想いに親しく寄り添おうとする。それは一面では、人に言えない孤独な悩みをマンガだけは受け止めてくれるということでもあるが、視点を変えれば、荒々しい欲望のはけ口として機能していることも否めない。「悪書追放運動」や「有害コミック騒動」、あるいは近年の「非実在青少年問題」など、マンガをめぐって繰り返し起きる社会的なコンフリクトは、マンガが人々の心に親しく寄り添ってあることを、どういった視点から見て評価するかの対立であるとも言えるだろう。
以上をふまえて考えるならば『少年マンガに登場する豊かな乳房をもった美少女”がいつどのように成立したかという問いは、マンガという表現における様式の変化といったマンガの領域内に閉じたイシューではなく、マンガという表現のありようと不可分にある同時代の読者の欲望のありようをも問うものである。しかもマンガの表現と読者の欲望の結びつきは、読者の欲望がマンガの表現を規定するだけでなく、マンガの表現が読者の欲望を再規定する可能性をもはらんでいる。いずれにせよマンガ(誌)における「美少女」とその身体について、戦後のマンガ史をたどりつつ素描する所から始めよう。
日本の少年マンガが劇的な発展を遂げ、社会に深く広く浸透していくに当たっては、1959年の週刊少年マンガ誌の登場が大きな節目の一つとなった。同年に創刊した『週刊少年サンデー』(小学館)と『週刊少年マガジン』(講談社)のうち、『少年サンデー』創刊号の表紙 (227頁1)が、この時代の少年マンガ誌の方向性を端的に示している。読者の分身たる少年モデルが、憧れの野球選手・長島茂雄(時) と共に写真に収まっており、まさに「少年らしい」として伸びやかな夢と希望を感じさせる。これに先立つ月刊少年誌(『少年クラブ』『少年」「少年ブック』『少年画報」「冒險王」など)も含め、1950-60年代の少年マンガ誌の表紙はおおむね同様のフォーマットで構成されており、スポーツ選手やレーシングカーなど少年の憧れの対象が少年モデルと共に写真に収まるのが通例であった。
マンガ雑誌の編集者が、作者の創作意欲と読者のニーズをすり合わせる役割を担うことは先に述べたが、いま一つ重要なファクターとして、読者に何を伝えたいか、受け止めて欲しいかという、ある種の教育的な関心がある。少年誌・少女誌においてそれは顕著であり、通俗娯楽でありつつも同時に教育読み物であることを、多かれ少なかれみな企図していたし、またそうあるよう社会的にも求められていた。 したがって、少年マンガ誌の表紙のありようは、その時代の少年の夢のありようであると同時に、編集者など大人の側の「あるべき少年像」を示すものでもある。
したがって、現在当たり前になっているような、女性タレントを扱った表紙がこの頃の少年マンガ誌に見られないのは、少年たちがそれを望まなかったという側面も否定できぬにせよ、少年は女性を欲望の対象としてはならない、という編集者=大人の側からの抑圧をこそ見て取るべきであろう。マンガの内容においてもそれは同様で、1950-60年代の少年マンガにおいて、女性キャラクターの存在感は、概して非常に希薄である。
そのことを端的に示す例として、『週刊少年マガジン』の、マンガ作品で構成された表紙だけを集めて(つまりタレントなどの写真で構成されたものは除いて)年代順に並べた本『『週刊少年マガジン』五〇年漫画表紙コレクション』(週刊少年マガジン編集部編、2008年、講談社)を紐解いてみよう。1960年代、「ちかいの魔球」「エイトマン」「ワタリ」などの看板作品が表紙を飾り、登場するのはすべて男性・少年キャラばかり。1966年になって初めて、ちばてつやの「ハリスの旋風」(1965—67年)から、主人公・ 石田国松のクラスメイト「おチャラ」こと朝井葉子が表紙に登場する。おチャラは級長的な立ち位置の勝気な少女で、野放図な国松を叱り、時に励まし、なだめたりすかしたりもする。その意味で、物語を進める上で重要な役割を担っているが、二人の間に恋愛感情は全くない。現在の少年マンガであれば、このおチャラと国松のような関係性は、当事者にそれと自覚のない恋愛関係、もしくはその前駆的段階と扱われることになろうし、ちば自身も後に、勝気な女性と野放図な男性がぶつかり合う中で芽ぐむ淡い恋心を何度も描いている。「ハリスの旋風」の時点でそれが描かれなかったのは、やはりある種の抑圧と見るべきだろう。
しかしその状況は程なく大きく変わる。永井豪「ハレンチ学園」(1968—72年)の登場である。同作の元来の着想は、「破廉恥」な「学園」つまり変人や変態ばかりが教壇に立つ学校を描けばハチャメチャで面白い、という逆転の発想であったそうだが、作品の爆発的なヒットにより、社会に大きく波紋を広げることになった。
一つには、作中の教師や男子生徒が女子生徒たちに仕掛ける性的ないたずら、代表的には「スカートめくり」を、読者の少年たちが模倣するようになり、教育環境を荒廃させた(とされる)こど。そして
いま一つ、そのような読者への悪影響を理由としつつ、同時におそらくは、聖職たるべき教師の権威を徹底的に冒漬したことへの懲罰として、教育委員会やPTAなどから激烈な排斥を受けたことである。
この「ハレンチ学園」の舞台は小学校であるが、ヒロインである柳生みつ子・通称「十兵衛」など女
子生徒たちの乳房は、年齢にしては発達した描かれ方をしている。「ハリスの旋風」のおチャラが、中学生でありながら、乳房の存在をほとんど感じさせなかったこととは対照的と言えよう。前述の通り、 本作の女子生徒たちは教師や男子生徒からの性的ないたずらの対象となっており、つまりここでの少女たちは明確に性的に欲望される対象となっていた。
連載誌の『週刊少年ジャンプ』は、前述の『週刊少年サンデー』『週刊少年マガジン』から9年遅れて、 1968年に隔週刊誌として創刊、翌年に週刊化。「ハレンチ学園」の初出はその創刊号での読みきり掲載で、その意味で雑誌の編集方針を体現する作品の一つと言っていい。端的に言えばそれは、読者たる少年たちと親密な関係を結び、彼らが本当に望むものを描く、といったものだった。
その背景として3つの事柄が挙げられる。まず、出版元の集英社は、小学館の娯楽誌部門から派生した系列会社であり、その成り立ちにおいて教育出版社の性質が色濃い小学館や講談社とは企業方針が大きく異なること。次に、手塚虫や石森章太郎(当時)、赤塚不二夫、藤子不二雄(当時)などの売れっ子作家はすでに「サンデー」「マガジン」に囲い込まれており、後発の「ジャンプ」は新人作家の発掘を力を入れざるを得なかったが、それを逆手にとり、読者の兄貴分として親しく寄り添い、少年の目線で面白いものを描いていったこと。最後に、「サンデー」「マガジン」が創刊以来のメイン読者である「団塊の世代」の雑誌離れを防ぐべく、彼らの成長に合わせて内容を青年向けにシフトしていったことを批判的前提として、「ジャンプ」は少年漫画誌の本来の読者である小学生男子にターゲットを絞り込んでいったこと。
その結果、『週刊少年ジャンプ』は数年で飛躍的に部数をのばし、 のばし、1973年には「マガジン」を抜いて少年マンガ誌のトップに立った。それに先立つ1971年には、小学生を対象とする読書実態調査で「サンデー」「マガジン」を抜き去っており、躍進の原動力が小学生読者からの支持であったことをうかがわせる。
子供たちが第二次性徴をいつ迎えるかは、個人差はもちろん、時代によって差がある。ここで論じている1950-60年代の子供たちは、現在と比較すれば、第二次性徴を概して遅く迎えているであろうが、とは言え小学校も高学年になれば、女子生徒の乳房がふくらみ始めたり、男子生徒が女子に性的な関心を持ったりすることは、そう珍しくもないし、不自然なことでもなかったろう。
したがって、1960年代末ごろまでの少年マンガが少女を性的に対象化することがなかったことは、 現実の少女の身体や、読者たる少年の内面に起因するのではなく、少年が少女を性的に対象化することに対する社会的な抑圧に起因すると理解せねばならない。そして「ハレンチ学園」の社会問題化が示しているのは、そのような社会的抑圧に対し少年マンガ誌というメディアがどう関わるか――抑圧の一端を担うのか、巧みにずらしやり過ごすのか、あるいは反抗するのか――がここで大きく転換したことに他なるまい。
「ハレンチ学園」が大ヒットし社会問題化した1960年代末~70年代初頭は、少年マンガ誌にとって大きな転換期だった。その人口の多さ故に雑誌の生命線となる「団塊の世代」の読者をどう繋ぎ止めるかをめぐって、各社それぞれに試行錯誤した時代である。
「団塊の世代」はかつて月刊少年マンガ誌の黄金期を支えた層であるが、10代を迎える頃に「サンデー」 「マガジン」が創刊され、週刊少年マンガ誌に移行していく。しかし時同じくして、「貸本屋」向けに中小の出版社が発行する「貸本マンガ誌」が隆盛を迎え、「劇画」とも呼ばれた青年向けの貸本マンガに強い関心を示すようになっていく。自身の成長に伴い(それと一種の“背伸び”もあって)、「少年マンガ」に飽き足らなくなっていくのである。
最も直接的な対策は、彼らの嗜好に合わせて誌面を変えていくことであり、貸本劇画出身の作家の積極的な登用などが行われた。しかしそれが過ぎると本来の少年読者が離れてしまう。事実、そうやって「サンデー」「マガジン」から離れてしまった読者を後発の「ジャンプ」がしっかりと掬い取り、少年マンガ誌のトップに躍り出たことは前述の通りだ。「サンデー」の小学館は、1963年に中高生をターゲットとする月刊誌『ボーイズライフ」を創刊し、「青年マンガ誌」の時代を先取りした。対する「マガジン」は、梶原一騎が「巨人の星」(川崎のぼる作画、1966—71年)と「あしたのジョー」(ちばてつや作画、1968—73年)で一時代を築き、「最近の大学生はマンガを読んでいて嘆かわしい」と新聞社説で批判されるほど青年層に浸透。その一方で、旧来の幼年向け月刊誌『ぼくら』を1969年に『週刊ぼくらマガジン』にリニューアル、少年読者の取り込みを図ったが、1971年には「マガジン」本誌に吸収統合される結果に終わっている。
この試行錯誤は最終的には、大学生や社会人に成長した「団塊の世代」の読者の受け皿は青年マンガ誌が引き継ぎ、少年マンガ誌は誌面をある種“若返り”させ、本来の少年読者に再度向き合うことにな
っていくのだが、読むのも人間・作るのも人間であるから、そうそう単純に線引きできるわけもない。雑誌ごとに個性の差はあれど、これ以降、日本の「少年マンガ誌」は、内容面でも受容面でも「少年」と「青年」を常に混在させていくことになる。したがって、少年マンガ誌において少女を性的に対象化することに対してかつて存在した抑圧は、1960年代後半以降、ほぼ見られなくなっていく。多かれ少なかれ、青年読者を意識せざるを得ないとなれば、恋愛が物語の重要なファクターの一つとなっていくことは必然であった。
さて、少年マンガが少女の身体を性的に対象化するあり方をめぐっては、次の転機は1970年代末から80年代にかけて訪れる。いわゆる「ラブコメ」ブームの到来である。「マガジン」の「翔んだカップル」(柳沢きみお、1978-81年)と、「サンデー」の「うる星やつら」(高橋留美子、1978—87年) が切り開き、柱生ミオ「胸さわぎの放課後」「マガジン」、1981-83年)や、あだち充「タッチ」(「サンデー」、1981-86年)などと共に一時代を築いたラブコメは、恋愛を主題としながらも、その語り口はコメディ交じりで軽いことを特徴とする。
それに先立つ1973-76年、「マガジン」に連載され社会現象にまでなった「愛と誠」(梶原一騎・ ながやす巧)と比較すれば、その特徴はより際立つ。「愛は平和ではない。愛は戦いである」と標榜し、 男と女があらゆる困難を乗り越え、生涯かけてたった一人の人を愛しぬくことができるか、人としての実存のすべてを賭けた愛のありようを描かんとする「愛と誠」とは全く異なり、ラブコメの主人公は概してみな優柔不断で、複数の気になる女性を前に目移りしたり、相手に対する自分の気持ちをはっきりとは決めかねたりする。その宙ぶらりんな状況が文字通り一種のサスペンス (宙吊り)を生んで物語を盛り上げると同時に、いざ愛を告げて付き合い始めた後の諸々の困難(=「愛と誠」がまさに主題としたもの) を回避しつづけることで、モラトリアムの甘い夢に読者をひたらせてもくれるのである。
恋愛を主題とする以上、ラブコメにおいて少女は当然ながら性的に対象化されることになり、性的な身体を持たされることになる。しかし、「ハレンチ学園」の十兵衛がそうであったように、ヒロインがみな発達した乳房を持つかと言うとそうではない。例えば「うる星やつら」において、主人公・諸星あたるは元は同級生・三宅しのぶと恋仲であったが、美少女宇宙人・ラムと関わりを持ったのをきっかけに、ラムやその友人の美少女宇宙人たちに浮気心を起こし、騒動を巻き起こしていく―――これが「うる星やつら」の初期の基本的な筋立てである(その後の変化については後述)。つまり少なくとも初期においては、 あたる・しのぶ・ラム+ゲスト美少女の三角関係が同作の主題であった。この三角関係はキャラクターの身体のありようにも組み込まれており、同時代の水着モデル、アグネス・ラムにちなむその名の通り、 虎皮のビキニスタイルで非常に肉感的なラムを筆頭に、美少女宇宙人たちは概してみな発達した乳房をもち、肌を露出する服装が多いのと対照的に、しのぶはセーラー服を着用し、清楚さが強調され、ために色気がない”と作中で言及されるなどしている。
つまりこの場合、乳房は少女キャラクターたちの「描き分け」=差異を特徴づけ、際立たせるための要素であり、キャラクターの性格や立ち位置を示す指標でもある。乳房の大小が、性的な成熟度や魅力と結びつけられているだけではなく、奔放で積極的な女と控えめな“待つ女”という性格や立ち位置の対比とも結びつけられているからだ。「翔んだカップル」にもそれは見られ、主人公・田代勇介に積極的にアプローチをする杉村秋美には胸元が開いた服装が目立ち、乳房の谷間を示す線が描き込まれるのに対し、勇介に素直に想いを告げられない山葉圭にはそれはない、という具合である。


