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「擬人主義と擬猫主義 ー 今泉吉晴」日本の名随筆3 猫 から

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「擬人主義と擬猫主義 ー 今泉吉晴」日本の名随筆3 猫 から


ネコを愛する人間と愛されるネコの関係。それは少なくとも、古代エジプトの昔から、人間社会に広く認められてきた現象であるらしい。ネコへの「愛」を綿々とつづる何十冊もの本を、私たちは、ヨーロッパ、アメリカ、そして日本の書店から、今すぐにでも集めることができる。
ネコへの「愛」をつづるのは街のネコ愛好家ばかりではない。作家、詩人、評論家、学者、俳優、音楽家と、たいていの都会人種がそこに登場する。それらの書物を一読するならば、ふだんしんらつな著者たちにしては、実にナイーブな「愛」の表現が連続することに、読者は一驚を喫することであろう。今日、人間に対するこれほど素直な愛の表現を、私たちはそうざらには見ることができない。なぜ人間は、ネコにはそのように接することができるのか。その理由の一部については、後にふれることができると思う。
ネコは人間同様、名前をもって語りかけられ、人間同様の育児法をもって育てられる。家の出入の自由を許され、準家族として、家庭のくつろぎの時間の大部分を人間の家族とともに共有する。
彼らは人間家族の準平等の一員として、遇されているのである。多くの場合、死後も人間の方法をもって埋葬される。
当然のことながら、どの場合も特定のネコに意味があるのであって、ネコ一般に意味があるのではない。明らかに、人間は異なる種 ―つまりネコ― のメンバーを家族関係の中にとり込むことができるのだ。愛猫記の「愛」は、家族愛の一形態にほかならないように思われる。
いうまでもなく、私たちは理屈の上では正しくネコをネコと見ている。ネコを人間と混同する擬人主義に陥る人間は、まず存在しない。だが、ネコに接する実際の態度、つまりどのような行動を彼らに向けるか、の点では完全に擬人主義なのである。私たちは事実上ネコを人間としてあつかっているのだ。では、ネコは人間をどう見ているのだろうか。
ネコの立場は明らかに「擬猫主義」である。彼らは人間をネコにみたて、ネコの方法をもって人間に接し、あいさつする。彼らが、人間にとっては特別意味のない飼主の何げない動作に、時に強い反応を示すことがあるのも、そのためである。たとえば、ツメとぎはネコの社交の中では、相手を威嚇するのに使われる、かなりどぎつい行動である。それゆえ、玄関のマットで靴の泥をぬぐう飼主の行為は、ネコをひどくおびえさせる結果となるのである。飼主を交尾に誘おうとする雌ネコの人間に向けた求愛行動は、ネコの行動の「擬猫主義」を象徴するものといえるだろう。
擬人主義をとる人間と擬猫主義をとるネコとの間に成立する関係、 それが地球上に何百万、何千万組のレベルで存在し、しかも「親密」といえる内容で維持されている現状は、動物学的に見るならば実に驚くべきことといわねばならない。なぜなら、まず第一に、社会行動は同じ種のメンバーに向けて展開されるのが原則であり、またそのためにこそ進化させられてきたものだからである。 自然界では他種のメンバーに向けてそれを用いることは意味のないことであるし、また実際まずはありえないことなのである。第二に、擬人主義も凝猫主義も、調解を導く源となるはずのものだからである。私たちは、ネコのある行為を見て、たとえば「楽しんでいる」と判断する。だが、その判断の規準は擬人主義であり、客観的に正しいものである保証はない。それゆえ、次にその判断に基づいて展開されるネコに向けての私たちの行動も、適切であるかどうかは疑わしい。さらに、その行動を受けとめるネコが、それを人間の意図どおり正しく読みとるものかどうかも、解らない。 にもかかわらず人間とネコとの間には親密としか判断のしようのない関係が成立している。それはまさに驚くべきことである。ネコを擬人化する人間と、人間を擬猫化するネコとの間には「相互誤解のなかの理解」が成立しているように思われるのだ。
たとえば次のようなことがある。トカゲやネズミを捕えて持ち帰ったネコが、それをきちんと並べて置いてから、飼主を呼ぶ。呼ばれた飼主は、これを「ネコの腕自慢」と解釈する。飼主が置かれた獲物を調べ、やさしいことばとともにネコをなでるまで、ネコが飼主に鳴きかけるのをやめようとしないことが多いだけに、いっそう、この擬人的解釈は正解にちがいないと考えられるのである。だが、この解釈はおそらく誤っている。この行動を演じるのは、大部分が雌ネコであり――ときに去勢維も行なう――、飼主への呼びかけが実は子ネコを呼ぶ母ネコの鳴声と同一であり、さらに、飼主の獲物を調べ、ほめる行動は、その中に獲物に近づく行為が含まれるがゆえにネコの鳴声を止める効力があることを知るならば、ネコの「腕自慢」とは、子ネコに獲物を運搬し、与える行動――すなわち給餌行動――の変形であることが、明らかであろう。ちなみに、この行動は雌ネコの性周期に同調して現われ、数日間しか持続しないのがふつうである。「腕自慢」行動に対する人間の反応が擬人主義をもって行われるのと同様に、ネコの方も、人間をネコとみたてている点で、 擬猫主義に立っていることがわかる。確かに両者はたがいに誤解しあっている――人間は腕自慢をほめてやったと思っているし、ネコは餌を与えてやったと思っている――のだが、現実の効果としては、そのことが両者の心理的結びつきを強化しているのである。
もう一つ興味深い具体例をあげよう。魚を「盗もうとしている」ネコを、たまたま目撃した飼主が、直ちにそれをとがめ、しかりつける。多くの場合、ネコは、遠くに走り去ろうとせず、近くの休み場―――たとえばテーブルの下――――などにこそこそともぐり込み、飼主に背を向けて、落着きなくあちこちを見る。この行動を見た人間は、ネコは「自分の行為を反省し、うなだれている」のだと解釈する。確かにそれは状況を十分説明できる解釈である。だが、おそらくこれも擬人主義による誤解である。ネコは飼主ににらまれたことに対し、「目をそらす行為をくりかえす―――すなわち、 あちこち見る」ことで、自らの劣位を表明しているだけなのだ。同様の行動は、ネコどうしの出会いの際にも頻繁に観察されることであって、おそらく「反省」とは何の関係もないのである。この場合も、前例同様、ネコと人間の相互の誤解が、結果的には両者の関係をスムーズにはこぶ上で、一定の積極的な役割をはたしていることが明らかであろう。
ここで擬人主義をとりあげたのは、もちろんその「非科学」の誤りを非難するためではない。おそらく私たち人間は、他種の動物との間に、親密な関係を維持し、また処理するのに、人間の仲間をあつかうのと同じ方法を使う以外に、とるべき方法を知らないのだ。それは善し悪しの問題ではない。この事情は、人間以外の動物にあっても同様なのだ。動物園では、さまざまの種の動物が、 なれ親しんだ飼育係にそれぞれの種ごとの擬動物主義をもって対処しているのを見ることができる。
だが、異性のパートナー――つまり人間と動物―――が、それぞれ相手を同種のメンバーとみなして、社会関係を組むことは――それは「飼育」という特殊な環境の中でしかみられないものなのだが――異種間の楽しいあいさつと善意の相互誤解を生むだけではない。長い鼻を使ったゾウのあいさつ、あるいはそうぞうしく活発なせルのあいさつ、それを受けるのは楽しい。けれども、このように動物から擬動物主義をもって接されるほど彼らと親密になることは、同時に、ライバル闘争の相手ともされる可能性を意味している。ふだん飼育係に最高の親密さをもって接する雄ジカも、秋に枝角が完成すると同時に、飼育係をライバルとみて、突然危険な攻撃を加えはじめる。体をふれさせるまでに飼育係になれた雄ライオンも、同じ艦の離ライオンの発情とともに、致命的な攻撃を飼育係に向けるのである。それは人間を同種のメンバーとみなし、それゆえにライバルともみなすからであり、それはまた彼らの通常の社交の作法に完全に合致したことなのである。
ネコの場合も同様である。ただ、ネコと人間とでは力関係に絶対的な差がある。そのため、ネコの人間に対するライバル闘争――それはハイムテリトリーをめぐるなわばり闘争であることが多いのだが――は、内にこもった消極的な形、たとえば「家出」とか「ひきこもり」、あるいは「食欲不振」といった形をとるのがふつうである。ネコの擬猫主義は、人間との関係のあらゆる面に根をはっているのである。
ネコを飼育し、プライベートな関係を保つこと、それはネコという種の行動の規範とむかいあうことを意味する。沈黙、落着き、孤独、陰険、個人主義、神秘といったネコの性格づけはすべて、 彼らの行動の規範に対する、私たち人間の擬人主義的評価である。だが、基本的に群れ生活者である人間が、基本的には単独生活者といえるネコの世界を、その擬人主義――すなわち、群れ生活者の価値感――をもってしては、とらえきれないであろうことは、容易に予測できる。ネコ愛好家のふともらすつぶやき、「美しい瞳の奥底でいったいネコは何を考えているのだろうか?」は、単独生活者の確信に満ちた態度によせる、精神的に不安定な群れ生活者、人間の、かぎりない憧憬の念と関連したものといえないだろうか。と同時にそれは、私たちの標準では容易に測り知ることのできないネコの残された部分、すなわち擬人主義と擬猫主義のずれへのもどかしさを表現しているのかもしれない。私たちはまず、人間とネコとがそれぞれよって立つ、二つの立場を認めることから出発することにしよう。

by nprtheeconomist05 | 2026-02-05 16:42 | 学者