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「山崎の努 ー 山崎努」文春文庫 「俳優」の肩ごしに から

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「山崎の努 ー 山崎努」文春文庫 「俳優」の肩ごしに から

子供のころはヤセっぽちでよく病院通いをしていた。特別どこが悪いということではなかった(らしい)が、八歳まではひとりっ児だったので過保護に育てられたのだろう。
当時、同い歳のいとこが近くに住んでいて、こちらはよく太った元気一杯の健康優良児。ヤセ、デブの凸凹コンビだった。今でも往き来している。
彼(「オーちゃん」と呼んでいた)は抜群に記憶力がよい。昔のことを実によく憶えている。比べて僕は自分でもあきれるほど物忘れがひどい。脳の出来具合が違うのだろうがそれは措くとして、この忘れっぽさは、十一歳で父を亡くしてから苦い貧乏生活を味わったことも影響しているのかもしれない。中学から俳優になるまでの金欠暮らしはあまり思い出したくない。できれば消しゴムで白紙にしてしまいたいという気持ちがどこかにあるのか。過去はどんどん捨てて、今日をどう過ごすか、ただそれだけといった習慣がついてしまったように思うのだが。
そういうわけで今回のこの回想記はオーちゃんの力に負うところが大きい。
僕はこの二十年、日記をつけている。初めに起きた時間を例えば「A8醒」と書く。醒にはその日がきのうと繋がらない新しい日、ゼロから始まる日、そんな覚悟、願いを漠然と込めている。朝、起きたら虫になっていた、そんな小説があったが、過去と今をぶった切ってリセットしたい気分。
とはいえ日常は続いている。それまでの借金を踏み倒すわけにはいかない。けれど前日までの借りがあるならそれはそれでよい。そういう条件で今日生まれたのだとすればいい。負債は先代が残したものとして引き継がせて頂く。
大体、僕がこの浮き世に産み落とされたときにすでにたくさんのカセがハメられていたのだ。言わせてもらえば、僕がこんな面相でこんな家に生まれたのは僕の意志ではない。結局、与えられた諸々の条件、その枠のなかでやっていくしかないのである。枠に不満も満足もない。当たり前のこととして受け入れるだけ。 毎日をそんなふうに超えていきたいと思う。
俳優も役という決められた枠のなかで生きる。シェイクスピアや山田太一が創り上げた人物、そのフレームの内で生きる。むろん演技者によって人物の様は大きく変わるし、はみ出す部分も当然あるが、フレームを無視してはドラマの世界は成立しない。
三十七歳で劇団を辞めて一人で仕事をするようになった。苦しいときもあったが、総じて勝手気ままにやれて後悔はない。ただ困ったのは、演目、ことに自分への配役。劇場の支配人や演出家に「さあ、何をやろうか。マクベス? リア? ……」と訊かれる。答えられない。
俳優を生業とするようになって六十年余りになるが、これまで自分の役を自分で選んだことは一度もない。ひそかにやってみたいと憧れているキャラクターもないことはないはずなのだが、それを口にするのは僕のルールに反するのである。
役は自分でチョイスするものではない。誰か、プロデューサーでも演出家でもいいが、とにかく他人が決定してくれなければならない。突然天から降ってくるように与えられるべきなのだ。実人生で山崎という家の努くんとして出現してきたように。
実人生と俳優業の原理は似ている。そこがおもしろい。












by nprtheeconomist05 | 2025-07-06 12:05 | 俳優